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文学少女 3
あたためたティーカップに昨日買ってきたばかりのローズヒップティーを注げば、
甘酸っぱい香りがキッチンいっぱいに広がった。
こんがりときつね色に焼けたガレットをお皿に並べて準備完了。
大きめのトレイにティーポットまで載せると、
私は兄の仕事部屋へとわくわくしながら向かった。
先日顔を合わせた新しい担当さんは兄が言った通り私も知っているヒトで、
初めて会ったときと変わらない柔らかく優しい空気を纏って、
久しぶりね、大きくなったわね、私のこと覚えているかしらと懐かしそうにはにかんだのだった。
「お兄ちゃん、お茶にしようよ」
「そうだね。ありがとう、舞花」
テーブルにトレイを置くのと同時にカタカタとキーボードを叩いていた指が止まり、
ゆっくりとこちらを振り返る。
その後ろで文字通り齧りつくように画面を見つめているのが新しい担当さん――天野遠子、さん。
前に会ったときは私もほんとうに小さな子どもで…勿論、中学生の今も大人とは言えないと分かってはいるのだけれど、
それでも彼女は大人びて見えて、びっくりするほど綺麗だった。
なのに、今感じるのはどちらかと言えば可愛らしさ。
きらきらと兄の書く小説に目を輝かせたり、
時折料理に例えた蘊蓄を語ってみたり、
でも私が顔をのぞかせると慌てて最初の印象であるしっかり者を装うのを実は知っている。
少女のまま大人になったような、可愛くて、不思議なヒト。
流石にもう赤毛のアンみたいな三つ編みではないけれど、
長い髪はそのままに背中で緩やかに波打つ。
「遠子先輩は、えっと、原稿のチェックでも…」
立ち上がろうとしたお兄ちゃんが、隣に立っていたセンパイと目が合うと少しだけ目を泳がせた。
敢えて言うなら挙動不審。
わけが分からない。
お兄ちゃんらしくない。
担当さんに仕事をさせておいて、
自分だけ休憩だなんてお兄ちゃん意地悪よ!って言うと、
またちらりと彼女に視線を向けた。
さっきから何なんだろう?
「そうよ。ずるいわ、心葉くん。舞花ちゃん、私も頂いて良いかしら」
パソコンに背を向けた彼女は兄の様子に苦笑して、
私と視線を合わせるようにちょっとだけ腰を曲げた。
すみれだろうか、良い匂いがふわりと香る。
お母さんとは違うけれど、大人の女のヒトって皆こうなのかな。
「はい!ガレットも焼いたんです。どうぞ、遠子先輩」
「舞花が『先輩』はおかしいだろ」
「だってお兄ちゃんがそう呼んでるから」
「私は別に構わないけれど。でも、好きなように呼んでくれて良いのよ?」
そう言われても困ってしまう。
紅茶が入ったティーカップを兄に差し出しながら、私はうんうん考えた。
『担当さん』だったら知らないヒトみたいだし。
『天野さん』…余所余所し過ぎるかも。
『遠子さん』はこの前見たドラマのお姑さんみたいで嫌だなぁ。
かと言って『遠子ちゃん』なんて流石に呼べないよ~。
初めて会ったときは名前なんて知らなくて、
お兄ちゃんの大切なヒトよってお母さん達から教えられて、
呼び方なんて…そうだ!
「…あ、あの」
「なぁに?」
指の先でガレットを摘んでいた彼女を、私はそろそろと覗き込んだ。
「遠子お姉ちゃん、って呼んでも良いですか?」
兄と一緒になってぽかんと呆けた表情が浮かぶ。
だ、駄目だったかなぁ。
やっぱり『遠子さん』って呼ぼう!と顔を上げた途端、
真っ暗になる視界。
え?え?!な、何っ?!
やっと顔を出したそこは細い肩口で、
ぐるぐると混乱していた私はようやく彼女が抱き付いて来たのだと理解した。
なんて可愛いの!と感嘆の声を上げ、
頬ずりしそうな勢いでぎゅうぎゅうと抱き締められる。
「心葉くん、心葉くん!私、ずぅっと妹が欲しかったのよぉっっ!!」
「男の兄弟しか居ない女のヒトって皆そう言いますよね。ちなみにあげませんから」
「良いわ、舞花ちゃん!今日から貴女のお姉さんになりますっ」
「遠子先輩っっ!!」
普段から声を荒げることなんて滅多にないのに、
彼女が来てから穏やかな兄はすっかり変わってしまった。
私が知らないだけで、
昔からこんな感じのやり取りをしていたのかもしれないけれど。
真っ赤な顔でぜいぜいと肩で息をするお兄ちゃんを見て、
遠子お姉ちゃんの顔も真っ赤に染まる。
??????
「ちっ違うのよ、そういうつもりで言ったんじゃなくて、でもでも、あの、そのっ」
「えぇ、遠子先輩の考えなしは昔からですから、よぉっく身に染みてますよ」
「それって酷いわ、心葉くんっっ」
「どっちがですか」
しどろもどろでよく分からない言い訳をする彼女に、
兄は頬を微かに染めたまま、ぶすっと明後日の方向を向いてしまった。
私の前ではちゃんとお兄ちゃんなのに、
お姉ちゃんの前では大きな子どもみたい。
喧嘩してるのに仲良く見えるふたりがあんまりおかしくて、
堪え切れずに吹き出してしまう。
いつからか、兄は前に進みながらも何かを待ち続けていた。
大切な宝物をときどき机の引き出しから取り出すのと似た感覚で、小説を書き続けてきた。
そんな兄が誇らしくもあり、もどかしくもあった。
―――あぁ、そうか、そうなんだ。
私、気付いちゃったよ、お兄ちゃん。
賑やかしい喧騒に頬が緩む。
きっとこれがずっと望んでいた風景なんだね。


ついでに、多感なお年頃の私にはふたりの想いも、
何となく分かってしまった午後なのでした。



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